2011年4月21日木曜日

福島原発事故,政府,官僚,マスコミの正義

youtubeで福島第一原発の画像が公開されている。撮影は4月15日とのこと。

http://www.youtube.com/watch?v=lemHgJLlZ2E&feature=player_embedded
















原子炉格納容器の蓋がむき出しになっていて,しかも締め付けボルトが無くなっている(二本だけ浮いてささっている)。この写真は4号炉とのことだが,4号炉は炉内に燃料が無く,冷却プールに使用済燃料が入っていて,プールの水が無くなり使用済燃料が加熱し水素爆発を起こしたとのことだが,この格納容器の蓋は外して横に置いてあったということだろうか。
GEのBWR Matrk I の透視図と建設中の格納容器の写真。手前にあるヘルメット状のものが上記の黄色い角の容器の蓋。(4号炉は日立製作所の設計とのことだが,GEの炉の図を参照した)




しかし,福島原発事故に関しては,政府発表,原子力保安院,東京電力の発表と現場の状況が整合しないのだろう。それに対してマスコミもろくなツッコミも出来ない。発表されたことを鵜呑みしている。買収されていると言われても否定できない。利益循環の中に組み入れられ腐ってしまったのだろう。しかし,視察に来た菅総理と枝野官房長官の防護服には笑ってしまった。自分たちの発表していることと対照すればジョークにしか思えない。外国のマスコミからも嘲笑されていることだろう。
フリージャーナリストの上杉隆氏が第二次大戦中の大本営と新聞のようだと言っていたが,自己利益のため隠蔽・歪曲している点ではそれ以下だろう。正義というのは自己利益を求めて行動している人間には出来ない行為なのだ。いま,マスコミ,メディア,政治家,官僚には,その意味で正義を行える人間は表に出てこない世界になってしまっている。犠牲になるのはいつの時代も庶民である。 




2011年4月16日土曜日

電力胎児

近隣騒音,排気,花粉,防犯・・・住宅の近代化は周囲環境を嫌い密閉した住宅になってしまった。オール電化住宅で,何だか電気ケーブルのへその緒で生きている胎児のようでもある。当然,へその緒を流れる血液である電気が停電すると死んでしまう。高層マンションなど停電になって一日過ごすとなると公園で野宿したほうがましだろう。億ションに住んでいて停電でエレベーター・水も使えなくなり公園に降りてきてホームレスに場所譲ってもらって野宿するなんて笑えてしまう。私は電気設備の設計・管理をしてきたが,オール電化なんて生命維持装置で生かされているような不安な住宅に住む気はさらさらない。普段は石油ストーブだが,薪ストーブもつけてあり,冬場は厚着をすれば薪ストーブだけでしのげるようにしてある。今回の震災でも電源の必要な石油ファンヒーターは役に立たず,昔ながらのポータブル石油ストーブが重宝されたようだ。我が家も普段は使わないがポータブル石油ストーブは仕舞ってある。長い停電が起きるなど今の人はありえないことのように思っているのだろう。マスコミも広告主の利益に反することは書かない言わないから,高層マンション,電化住宅なんて停電したら棺桶と同じだなんて一言も言わない。東京にテロ攻撃を仕掛けるなら少しの爆薬で山間の送電鉄塔を数カ所破壊すれば鉄塔はドミノ式に倒れ,長時間停電になり,時間と共に人が死んでゆく。本当に危うい状態に浮いているのだ。
現代の都市とそこに住む人々は電力という臍帯で生きている胎児のようなもので,その臍帯は見ず知らずの人が簡単に切ることが可能なのだ....。原発と同じで危うさにに気づいている人は,たくさんいると思うが誰も防止策を施さないままなのである。

2011年4月15日金曜日

情報化社会は大量電力消費社会

東京電力の福島原発事故により今年の夏の電力不足対策をどうするかについて色々言われているが,平成14年の電力危機(前出参照)のことを考えれば,柏崎刈羽原発が稼働出来れば大丈夫だと思うのだが。点検・整備の繰り上げか繰り下げで,夏の稼働炉数を上げれば間に合うと思う。電力ピークを押さえれば良いわけで,冷房を停止すれば中間期の電力使用状況とそう変わらないはずだ。サマータイム導入とか言っている政治家もいるが,サマータイムは電力ピークカットにはあまり効果がない。サマータイム導入の本音は景気対策だろう。明るいうちに仕事を終わらせ,レジャーや飲食をもっとさせるのが目的だろう。そんなふうに時間を使える労働者ってどれだけ居るのだろう?東京当たりでも人口の1割居るだろうか?。
冷房を止めるには,労安法の問題があり,冷房装置を設置している場合,摂氏28度以下にしなければならない。政府は特別措置で「扇風機や送風装置を使用し,就業者の体調管理に配慮すれば摂氏32度まで可とする」とでもすれば,冷房の停止を大分実施できるだろう。30度を超える中,体を動かして仕事をしている人が大勢いるのに,デスクワークの人間が冷房なきゃ仕事ができないのはおかしいだろう。
北海道でも一昔前では冷房は一般的ではなかった。しかし,今ではオフィス,店舗等に冷房を設置するのが一般的になっている。住宅でも建売住宅は最初から冷房(エアコン)がついているのが今では一般的らしい。
工学系大学で勤務していたとき,教員室に冷房をつけたいと言われ,何故という話になり先生は「暑くて部屋に居られない」と言って温度を測ったデータを見せてきた。部屋を見せてもらうと,研究用のサーバー,自分のパソコン,プリンター,コピー機等で埋まっている。昔は工学部の教員室でもOA機器なんて電卓くらいしか置いていなかった。今では教員一人の部屋に合計3kWくらいのOA機器家電製品がある。
OA機器の消費電力は,ほとんど熱となる。昔は夏を扇風機と団扇で凌げたものの,今は常時室内に熱源を置いているのだ。さらに,OA機器はホコリ,湿度を嫌うため,窓を開け放しておけない。部屋を閉め切り,エアコンを使わないと仕事ができないようになってしまった。OA機器の消費電力で発生した熱をさらに電力を使って排出しているのだ。
情報化社会とは,それまで以上に電力を消費しなければ維持できない社会なのだ。家庭においても家電製品の大型化,機種の増加は夏場の冷房が無けれれば部屋に居られない状態を作っている。
かくして,国内の電力消費量は年々増加し,二酸化炭素を出さないクリーンエネルギーということで原発は増え,地震で壊れ,国民の生活,経済を破壊する結果となった。

情報化社会の形成・生活利便の向上→電力の消費増加→温暖化防止のため原子力発電の増設→原発事故による生活・経済の破壊→将来ではなく現在の環境破壊

人間の欲と浅知恵を神様が諌めているような気がする。(神様とは八百万の神のことです)

2011年4月14日木曜日

復興会議開始

きょう,4月14日大震災の復興会議が初会合を開いたそうである。今の政権で効果があげられるか非常に疑問である。原発の被害地域など先行き分からないのにどうするのだろう。原発関連だけ棚上げするのだろうか。松本参与が菅総理が原発被害地域は数年住めないと発言したとして問題になったそうだが,今の状況ではどうみたってその通りだろう。原発からの放射性物質放出を止める目処がつかない状況で,チェルノブイリ周辺の現状を見れば,周辺住民が自宅に住むのは数年無理というところも出てくるだろう。常識だ。昨日の東京電力の清水社長の記者会見でも,はっきり言えば「今のところ全てにお手上げ状態です」ということだろう。否定したけど数年住めなくなるというのは菅総理の口から出た言葉に間違いないだろう。松本健一氏は意図的に漏らしたのでは?「もう菅政権とは付き合ってられない」と思って,辞任する口実にしたのでは?と思う。多分間違いない。松本健一氏は菅政権に相応しくないしなあ。
今回の大震災は災害としては大正の関東大震災に次ぐものだが,被害の大きさから較べると,第二次大戦中の空襲・原爆投下の比ではない。空襲で破壊された日本に終戦後660万人と言われる引揚者が戻ってきたのである。当時の人口の1割近くの数である。日本に戻ったものの家も仕事もない人たちが10人に1人いるという状況だったのだ。私の両親も引揚者である。そんな状況の中からベビーブームが起こり,高度経済成長を成したのだと思うと今の状況を,そう悲観的に考えるほどの事ではないというと不謹慎だろうか。
復興会議に参加している人たちは日本の戦後状況をどれだけ知っているだろうか?適切な行政措置を行えば復興するのにそう時間はかからないだろう。65年前よりは復興に使える物もお金も桁違いに今の日本は持っているのだから。政治行政は変な考えを押し付けず地方行政のサポート役に回ったほうが良いと思うのだが,復興会議が方針・判断の遅延や押付けにならないよう祈るしか無い。

科学技術創造立国日本+経済至上主義NIPPON=日沈みゆく国(4)

社会格差が増大してゆく日本。
私はGHQによる第二次大戦後の日本の体制改革は,革命だったと考えている。
農地解放,皇室を除く貴族制度の廃止,財閥解体,帝国陸海軍の解散,国家神道の解体・政教分離,憲法改定。敗戦からサンフランシスコ条約の発行までに日本国内の体制をひっくり返してしまったのである。こうしないと日本が共産化してしまうという米国の強い意志によるものと思うが思い切ったことをしたものだと思う。当時の占領政策を画策した人たちは自国で実施できない理想社会を形成する実験を行ったのだろうと私は思っている。その結果,昭和30年代から爆発的な経済発展を遂げるのである。
一家の主が馬鹿な事をせず(博打,酒,女)真面目に稼ぎ,浪費をせず家庭を大事にすれば,自宅を持ち,子どもにも高等教育を受けさせることができる。このことを多く国民が享受できる社会こそ社会主義国家だと思うのである。経済体制は何でも良い。ソ連や中共などは失敗共産主義・社会主義国家なのだ。
「真面目に生きれば,安定した人生を送れる。」人生には色んなことが起きるが,真面目に生きるという人生の基本理念は,かつて日本人の常識だった。それを壊してしまったのはバブルである。バブルの破綻と共に元号は昭和から平成に移り,日本人のお金儲けに関する意識が大きき変わったと私は思っている。もちろん,それ以前にも,狡い商売で金儲けを目論む者は居たが,社会全体,特にマスコミが真面目にお金を稼ぐことを否定するような風潮になったのは,バブル以降である。私はバブルが破綻した後,バブル以前の真面目に努力することが尊ばれる社会に戻らないと感じたが,いま,その感を拭えない。確かに,新聞や雑誌の記事では,伝統的な技術やそれを伝えるのに努力していることを伝えるというような記事は載るものの,どう仕様も無い記事やいかがわしい広告が幅を効かせている。昭和の時代に大手全国紙でパチンコ屋の宣伝が全面広告で新聞に載るようなことは考えられなかった。新聞・テレビも記事・番組そのものが宣伝が組み込まれていたり,広告費を稼ぐための銭ゲバマスコミである。今のテレビを見て,新聞を読み育つとパチンコや怪しい健康食品販売は,まっとうな商売だと思って子供たちは育ってしまうだろう。
今年より義務教育に新聞を取り入れる授業を行なうそうだが,今の新聞は子どもの教育素材として相応しいものだとは思わない。新聞の売り上げが年々減少しているため新聞業界が政治家を動かして行わせたのだろう。
科学技術創造立国を創ることはそれに相応しい人を創ることだが,お題目を唱えるだけで,政治,社会,教育は全体的にそれに向かって効果的に機能しているとは思えないのである。

2011年4月12日火曜日

科学技術創造立国日本+経済至上主義NIPPON=日沈みゆく国(3)

科学技術創造立国日本の復興が困難な理由としてもう一つ上げたい。国民総生産の一次+二次産業比率は25.2%(2009年)に対し就業者数は47%(2010年)である。この数字の捉え方として
●一時二次産業は生産効率が悪い。
と捉えるか,
●一次二次産業は外国との価格競争で生産金額が抑えられ従業者も低賃金を強いられている。
と捉えるか。
当然,後者であろう。これには,中華人民共和国など新興国の安い製品・農産物との競争を強いられてることもあるが,私としてはもう一つ別の見方を上げたい。
昭和30年代から,技術者を教育・育成することは国策として全国に工学系大学・学部の拡充・創設及び工業高等専門学校の設置を行った。ちょうど団塊の世代が進学する時期である。この政策は功を奏し,昭和40年代,50年代のGDP二桁成長に大きく寄与したと言って間違いないだろう。また,工業高校においても優秀な生徒が集まり,北海道でも工業高校の入試成績が全道の高校入試平均点のトップクラスだったこともあった。と言っても今では信じられないだろう。しかし,時代は変わり,工学部,工業系学校は一部の学科を除き人気が低下し,学科を選ばなければ特に国立大学では入りやすい学部になっている。
現在国公立私立大学学部の学科別定員を見ると理学部,工学部,農学部を合わせた比率は22.6%である(平成20年度文科省資料)医療系が10%程で,高等教育を受けた人間の7割近くが三次産業部門向けなのである。
日本の輸出品の大部分は工業製品であり,ゲームやアニメなどのコンテンツ産業やサービスの輸出金額は,まだ大きくないであろう。日本の家計を黒字にするには,工業製品に頼らなければならないのである。
話が回りくどくなって申し訳ないが,どんどん増えていく高給取り三次産業従事者を養うため,一次二次産業従事者が骨身を追って苦労しているのが今の日本の実情である。「辛い仕事はいやだ。うまいもの食べたい。遊びたい。」と言っている三次産業道楽息子4人を一次産業の父母が汗水流して息子の稼ぎ以上の生活を与えている状態だと私は思うのである。
ほとんどの若い人は,この不公平を認識しているのだろう。「一時二次産業に入るより三次産業分野でうまく高収入を得たい。」というのが多くの若い人の本音だろう。今の政策・施策では若い人の職業に対する意識を変えることは困難だろう。でも科学技術創造立国の根本は,若い人のこの意識を変えることがまず一歩だと思うのだが。

2011年4月11日月曜日

科学技術創造立国日本+経済至上主義NIPPON=日沈みゆく国(2)

私の持論として,子どもたちの理系離れの原因のひとつに教師の問題があると思う。私の年代では中学,高校で理数系が得意な人は教育大学に進む人はほとんどいなかったと思う。理数がよく出来る人は医学系や理工系に進んでいた。理数がそれほど得意でなかった人が小中学で子どもに理科算数を教えているのである(例外はあると思うが)。教師になってから自己研鑽に励み素晴らしい先生になっているかたもいると思うが,大学受験制度の改革は,より理数系の不得手な教師を生み出す要因になったと思う。
私の歳が旧国立大学受験制度最後の歳だった。翌年からは共通一次試験になった。旧国立大学受験制度とは,国立一期校(旧7帝大)と二期校(旧7帝大以外)に受験日が分かれ,国立大学を希望する学生は,通常,受験する一期校と二期校を選び,二期校を滑り止めとしていた。試験問題は各大学で作成し,大学により難易度に差があった。試験科目は基本的に学部学科に関わらず5科目で科目別の傾斜配分は行わず,5科目合計点で判断されていた。難関校に入るには不得手科目があったらアウトだったので,文系学科を受験する学生でも,理数科目も必死になて勉強したのである。あれから三十数年経ち,昨年は娘が大学受験で私も今の大学受験の仕組みを調べてみたが,国公立系でも理数が出来ない文系希望学生を排除できる仕組みにはなっていなかった。高校ではセンター試験で受験しない科目の授業は放置状態で試験も一夜漬けで合格できるレベルの優しい問題で行っている。高校どころか中学生レベルの算数や理科が分からない生徒を大学に送り出しているのである。
また,工学部の低ランク大学の入試偏差値,センター得点平均値を見ると,このレベルの学生が大学課程の理工教育を履修できるのか?という懸念を抱いた。一部の大学では入学してから高校課程の再履修を行っているそうで,工学部に入学した学生なのに高校数学を再履修させている大学もある。
バブル期の理工系離れとゆとり教育,それに少子化による大学入試競争の緩和は長期的な日本人全体の学力低下を招いている。困ったことには,これからゆとり教育世代が親となり,社会の中心を担うのである。
政府が科学技術創造立国の旗を掲げ予算を撒いて一時的な効果を出しても,世代循環の鎖を断ち切ることは容易ではない。私は子どもの学力低下が言われだしたとき,それは子どもの側に問題があるのではなく大人側に原因があると考えてきた。子どもを変えるには大人が変わらなければならないのである。

2011年4月10日日曜日

科学技術創造立国日本+経済至上主義NIPPON=日沈みゆく国(1)

科学技術創造立国日本というのは国策じゃなかったろうか。日本が将来的に先進国としての地位を確保してゆくためには,「国の立国基本要項を科学技術創造立国として進める」ということだったと記憶しているのだが。小泉内閣の時に政策・施策として強く推し進められるようになったかと思う(うろ覚えですいません)。科学技術創造立国日本の確立のため国家予算が色々な分野に配分されているのだが,今回の原発事故で国内外とも「科学技術崩壊」という印象を与えてしまった。
今回の福島原発事故については,「科学技術適用権に基づく必要措置を講じなかった東京電力経営陣による人災」と考えている。

●何故,平成14年の原発トラブル隠ぺい事件は起きたのか?

●何故,建設後40年経つ沸騰水型軽水炉を使い続けるのか?

●何故,過去の記録に基づく最大地震・津波を想定した対策をしなかったのか?

答えは全て経費がかかるからである。正常な技術判断に基づけば事故は起きなかったはずだ。東京電力の歴代社長は技術者上がりの社長から事務系出身社長に変わって53年間法学部,経済学部卒の社長が続いていた。文高理低の経営体制が続いてきたと言わざるをえない。不思議に思うのは電力会社のような半独占企業にあって,脆弱な原発を運営し続け,不良箇所を隠し続けることを行なってきたのだろう。電力会社が独占状態にあることを許されているのは「安全・安定・安心」を第一目標とするためである。
JR西日本の福知山線事故では社長らが刑事起訴されている。東京電力の社長並びに責任者も刑事起訴されるだろう。裁判の中で「安全・安定・安心」よりも経営を優先させた経緯を明らかにしてほしいものだ。それと電力会社が不正・隠蔽行為を行った場合指導監督すべき原子力保安院は今回の事故を防げなかった責任を持っているのだろうか。
国が科学技術創造立国を掲げても技術を骨抜きにする経営者・官僚が組織を牛耳っていては「日沈みゆく国」になってしまう。

2011年4月9日土曜日

理想のマウス

キーボードに関する愚痴に続いて今度はマウスである。CADを使うため,マウスは必需品である。しかし,なかなか,これというマウスに出会えない。こういうマウスが欲しいという条件の一つが人差し指の指先の下にレーザーセンサーが付いているということである。この条件に近かったのが昔使っていたマイクロソフトのボール式マウスだった。ボールが人差し指と中指の中間,第一関節の下あたりに付いていたのだった。このマウスは消耗してクリックスイッチが効かなくなり捨ててしまった。同じものを買おうと思ったが既に販売終了で手に入らなかった。それから何度もマウスを変えたが,あのマイクロソフトのボール式マウス以上のマウスに出会えていない。ヨドバシやビックカメラなどに寄ったときは必ずマウスの展示品をひっくり返して探すのだが,ほとんどのマウスは手のひらの下あたりにレーザーセンサーを付けている。私からみれば,この位置にセンサーを配置する理由が分からないのである。しいて言えば作り易いことだろうか。先月,ELECOMのSCOPE MODEというマウスを購入した。センサーの位置をペンを持ったときのペン先に近い位置に配置したということであるが,使っていみて今ひとつである。店の売り場に行くと100種類以上ものマウスがあるというのに気に入るものが無いとは,なぜだろう。私が変わり者なのか,専門者ニーズに対応する商品開発がなされていないのか。

なぜ,日本語キーボード

家で仕事を持ち帰ってするのにパソコンを家に置いたとき,当時小学生の子どもが使うのに日本語キーボードだとひらがなで覚えてしまうので,まずいと思い英語キーボードを付けた。それから,職場で使うパソコンにも自分で英語キーボードに交換してずっと英語キーボードを使っている。考えて見れば,ひらがなで入力する人など,まず,いないのに何で日本語キーボードばかり販売しているのだろう。使用状況を考えれば英語キーボードが標準で日本語キーボードがオプション選択にするべきだ。昨年大学生になった娘にノートPCを買った時も英語キーボードのノートPCがなかなか見つからず,結局DELLのノートPCが英語キーボードを選択できる機種があったため,それをネット販売で購入した。
いま,私が使っているのはFILCOの英語キーボードとテンキーパッドである。仕事上,CADを使うことが多く,左手でキーボードを打つ使い方が多いためだ。普通のキーボードだと右側にテンキーがあるため左手で数字を打つのは非常に使いづらい。それで普段はこのように配置して使っている。
 でも,テンキーパッドのキー配置もイマイチで矢印キーやデリートキーがテンキーパッドに独立キーとして備わってほしい。
考えてみれば,キーボードが横長というのも手や指の動きを考えると使いづらいのである。横長なのは機械式タイプライターの構造上のためであり,今は,どんな形でも出来るのだがJISとか国際規格のため横長の形が続いているのである。手も左右に動かすよりも前後に動かすほうが楽である。私の理想を言えばA-4縦サイズにキーを配置したキーボードがいいと思う。ユニバーサルデザインとして作る会社はないものだろうか。また,キー配置も,表計算向き,ワープロ向き,CAD・グラフィック向きなどのバリエーションを作るのがいいと思う。
キーボードというのは,あまりに無意味な規格や慣習に引きづられていないだろうか。

2011年4月8日金曜日

トヨタがマイクロソフトと提携?

トヨタがマイクロソフトと提携するというニュースを聞いたとき,思い出したのがビル・ゲイツがコンピューターとゼネラル・モーターズの車を比較した発言に対するゼネラル・モーターズの皮肉という小話を思い出した。(かなり知られた小話なので知らない人は下記のリンクを見てください)
http://www.copipe.org/main.php?postid=1255

私のようなビンボーコンピュータマニア(マニアと呼べるほどのものではないが)としてはビル・ゲイツには「世界で一番金持ちの詐欺師」という称号を与えたいと思う。
学生の時にコンピューター実習でパンチカードによるフォートランプログラミングを行ったときは,パンチカードを打つにも,ジョブ実行を行なうにも行列で,電子計算機室の職員は5時とともにピシャッと閉めるしで「こんなもんやってられるかっ!」ということで情報関係への道を削除した。当時,アップルが通販で買えるようになり始め,NECのTK-80も売りだされた頃だった。コンピューターは,じきにパーソナル・コンピューターになるので,今不自由な思いしてコンピューターを勉強しなくて良いと思ったのだ。数年後FM-8を買い,職場でNEC-9801が入り,28年間で何台コンピューターを扱ったことだろう。DOS系のコンピューターOSとしてウィンドゥズ3.1が発売されたのはwikiによると1993年になっている。これは,インストールしてから使い物にならなくてDOSに戻した覚えがある。それから95,98,MEまでろくなもんじゃなかった。仕方ないから使っていたけど。コンピューターを使うのに最大の障害がOSのせいでなくなったのはXPからかと思う(2000はスキップしてしまった)。さっきのゼネラル・モーターズの小話ではないが,マイクロソフトは製品の不良で新品に交換するのに客が新品の料金そっくり負担しなければならないということを堂々と行ったのだ。おまけにインテルとグルになって新しいOSにする度にコンピューターも買い換えないと満足に動かないようにしたのだ。他の工業製品で,このような商売のしかたで成功した例があるだろうか?(軍需産業だと同じようなことがあるのかも知れないが)。マイクロソフトに誠意があるのなら,ウィンドゥズ2000をフリーソフトにしてほしいものだ。発展途上国などなら教育用に日本で廃棄するパソコン+ウィンドゥズ2000で十分使える。
話がそれてしまった。マイクロソフトと提携してトヨタの車はどう変わるのだろう。カーナビも付けない人間としては,トヨタとマイクロソフトが提携して作った車を買うことはないだろう。きっと高いだろうし。

どんどん増える法律・規則

32年間電気設備の設計,管理を通して,様々な法律・規則に接してきた。建築電気設備の設計をするには電気関係だけでなく,建築,空調衛生設備関係の法律・規則も知っていなければならない。専門技術知識よりも法律・規則関係に関する知識の量のほうが多く必要とされるかもしれない。法律・規則を作るのは主に所管省庁の若手官僚・職員である。省庁職員は仕事量が多く専門的考証を重ねなければならない基準値などは外部専門家による委託や委員会によってほとんど決定している。また,最近は一般国民の意見もインターネットを利用してパブリックコメントとして徴募している。技術の進歩や,世の中の変化,問題の顕在化に合わせ新たに法律・規則の制定が必要になるため,年を重ねるにつれ法律・規則は年々増加している。が,一方必要性の無くなった法律・基準というのも数多く存在している。官僚たちは法律を作るのは自分たちの仕事だと踏まえているのだろうけど,現行法律・規則の廃止も任務だとはあまり認識していないようである。一度施行した法律・規則を改廃するということは新たに作るよりずっと手間のかかることである。残念ながら省庁の経費削減に結びつかない法律・規則の改廃にあえて手をつけようとする役人は,まずいない。結局,現場で許認可・検査を行なう役人は法律・規則がある以上それを守るよう指示するしかないのだ。仕事をしていく中で「何でこんな無意味なことを守らなければならないんだろう」と思うことは,しばしば遭遇する。そういうことが増えていくと法律・規則全体の信頼性が薄らいでゆくと思うのだが。

2011年4月7日木曜日

規制値とは

政府(というか官邸)が放射線の被爆基準値を上げる検討をしている。官邸(枝野官房長官)が「基準値上げましたから大丈夫です。お戻りください」と言って素直に信じる人がいるだろうか。基準値を引き上げる根拠は御用学者達に押し付けるのだろう。先の短い年寄り学者・専門家が判断したことに押し付けるのだろう。現在,国の法律で制定された様々な規制値の中でも放射線に関してはかなり推考して決められたはずである。様々な資料,海外の基準との比較をもとに安全基準を制定したのである。基準値の制定に携わった人たちは,「こんな軽々しく引き上げられる基準値ではない」と憤慨するだろう。それなりに根拠と自信を持って安全と判断できる値を基準値として制定したはずである。こんなことが許されるなら,国の定めた規則,規制などをきちんと守らなければならないという国民意識は崩壊するに違いない。政府と原子力保安院,東京電力,マスコミは協力しあって,国民を危険に晒し,国家の威信を国内外にわたって失墜させているのである。
クリントン国務長官が来日するそうであるが,原発事故を収束できない日本政府のケツを蹴りあげにくるのだろう。福島原発を米軍に占領してもらったほうが早くケリがつくに違いない。

経済至上主義者の偽政者による利権団体のための政治

もうじき震災から1ヶ月になる。この間に政権,東京電力,国家行政機関,学者,マスコミに対する国民の不信感は,いっそう大きくなった。皆,国民は痴呆症に患っていて,発表したことは直ぐに忘れてしまうものと考えているに違いない。総務省はインターネット事業者に流言飛語に関する規制を行なうよう要請したという。政府が事実を調査公表しないのに,どのように流言飛語の判断をするのか。このままでは政府やマスコミの発表と異なることは全て流言飛語とされてしまいそうだ。
海外メディアは震災にあってもパニックにならず,自己統制する被災者の姿に感動する一方,明らかに発表内容が事実と相違する日本政府,行政機関,東京電力の姿勢に不信感を表している。国内のメディアやインターネットを規制しても,海外はどうにもならない。米国政府は米海軍が調査した情報をもとに原発の状況を把握している。それを元に在日米国関係者に指示を行っているはずだ。皮肉なことだが,米国政府関係者家族の居るところが,いま日本国内で安全な場所である。
マスコミは,かつてダイオキシン騒動のとき国民に不安を煽り立てる酷い報道を行った。それに較べ福島原発事故に関しては政府,原子力保安院,東京電力の発表をたれ流すだけである。金と権力になびき弱者をないがしろにし,正義面する鉄面皮。マスコミの腐敗は正常な民主主義の崩壊の一因である。

2011年4月4日月曜日

地震,原発,火事,津波

かつて,昔の人は怖いものとして「地震,雷,火事,親父」と言った。今なら「地震,原発,火事,津波」というべきところだろう。今回の震災ではドミノ式に「地震→津波→原発事故(火事)」という順序で元凶は地震である。日本は地震の多いところというのは常識だろう。私も震度5以上の地震は5回ほど経験している。
地震が恐ろしいところは何時来るか分からないことだろう。今回の東日本大震災(気象庁は東北地方太平洋沖地震と称しているが)では,全く予測が出来なかった。後から言ってもどうしようもないのだが,気象庁の記録を見ると3月9日から三陸沖,宮城沖の地震が異常に増えていた。困難なことではあるが,地震の観測とデーターの分析手法次第では一部の地震は数日以前に予測ができるのではないかと思う。
来る来ると言いながらなかなか発生しない東海沖地震の観測・予測体制は全国的に整備すべきだ。昔から対策や観測に膨大な予算を使いながら発生しない東海沖地震をみていると政治利権のためにやっているんじゃないかと思いたくなってしまう。
緊急地震速報にしても巨大地震の震源となる太平洋沖海底に地震計を多数配置しないとあまり効果がないものだと思うのだが,海底地震計を配置しているのは一部の地域だけであり,データーは一元化されていないようである。
気候変動予測やCO2抑制にかけているお金を地震観測・予知に振り向けてほしいものだ。10年,20年では制度の高い予測は無理でも,100年後には予測が可能になると思うのだが。「30年以内にマグニチュード7以上の地震が発生する確率が80%・・・」なんて全く実用性のない予測出されても役には立たない。

2011年4月3日日曜日

電気自動車

先日,テレビ東京(北海道ではTVH)のワールド・ビジネス・サテライトでシムドライブというベンチャー企業の電気自動車の紹介を見た。多分,この車が現段階で電気自動車としての実用技術がほとんど取り入れられており,かつシンプルである。電気自動車の場合,車輪ホイールにモーターを組み込むべきなのだが,日産リーフも三菱i-MiEVもエンジンの位置にモーターが据え付けられている。まだ,既存の燃料エンジン自動車の延長上から抜けられないのだ。車を作ってきた概念にとらわれない人間からみると電気自動車を作る場合,タイヤホイール自体をモーターにしてしまうのが合理的であり,既に実用技術は確立している。私の考えでは,4輪ともモーター組み込みホイールにしてしまい,各ホイールの回転数を個別に制御することにより,今までの自動車には無かった操舵性能を作る事ができるはずだ。高速での車線変更やカーブでは安定性が向上することは間違いない。また,ハンドル操作も機械的に連結するのではなく,ハンドルの回転を電気信号に変え,コンピュータ処理をして舵輪を動かすことにより安全性が向上する。ここまでやるとコストがかなりかかる話になるので実用車に応用するのはまだ先だと思うが,現在の技術で実現できるはずだ。そう考えるとハイブリッド自動車も販売している電気自動車も過渡的な製品で技術的に古くさく感じてしまう。また,電気スクーターが販売されているようだが,自動二輪車も電気自動二輪になると前輪にモーターを組み込むことができるのでカーブを曲がるときの安定性が良くなるはずである。
しかし,北海道に住む見にとって暖房がどうなっているのか心配だ。白金カイロの大きいものを積むのかな,エタノールが燃料で。バッテリーの電力で車内を暖めるのは,どう考えても不効率だ。

2011年4月2日土曜日

高圧ナトリウムランプは本当に高効率か?道路照明のムダ

高圧ナトリウムランプという照明用ランプがある。主にトンネルや道路の照明に使われている黄色い光を出すランプである。照明効率(ルーメン/ワット)が高いということで,演色性(光源による色の見え方)が要求されない場所に普及している。道路,トンネル,駐車場,倉庫等である。また,青みの強い水銀灯と組み合わせ,体育館・多目的アリーナ等の照明としても使われている。電気設備の設計をしている人には新しもの好きの人が多く,また,新しい技術を使った機材を使うことが先進性や技術的な高さをアピールできるため,新しい施設では高圧ナトリウムランプを使う事が多いのだが,私は使ったことがない。使わない理由としては。
●演色性が悪すぎる。青系の色はほとんど黒にしか見えない。
●効率が良いと言うが,人間の目で感じられる明るさとしては,同じ光度のメタルハライドランプより暗く感じる。
●高価である。
ランプの明るさを表す単位として「ルーメン」という単位を用いるが,これは光としてのエネルギー量を表している。演色性とは無関係の単位である。人間の目は太陽の光で照らされたものを見るのに適したようにできている。太陽の光には虹などで分かるように,赤から紫までの人間の目で見える光の波長が連続的に含まれている。しかし,高圧ナトリウムランプなど放電ランプは可視光の一部の光しか発光しないのである。蛍光灯などは光を発する物質を工夫することにより,人間の見た目には太陽光とほとんど変わらない光を発するように改良されている。
つまり,人間の目で見た明るさで比べると高圧ナトリウムランプは明るいとは思えないのだが,データだけで判断するということの結果,高圧ナトリウムランプがあちこちに付けられている。
トンネルの照明の点けかたを見ていて,とても気になることがある。昼間は間引きをして点灯数を少なくし,夜間に全器具を点灯しているところがほとんどなのである。人間の見た目を考慮するなら,全く逆の点灯にしなければならない。つまり,トンネルの中と外の明るさのギャップを低減するよう点灯しなければならない。長いトンネルでは,日中は出入口付近の点灯数を多くし,中間部分は少なくて良い。
あと,道路照明の設計では路面上の照度を計算するようになっているが。これについても私は必要ないと思っている。照度が必要なのは,道路上に垂直に立っているものの面照度である。車を運転していて何でこんなにハイウェイ灯を設置しているんだ?と思うところがある。それも車道部分を中心に照らすものだから,歩道部分や脇道との照度差が大きくなり却って歩行者や進入車両の視認を悪くしている。
東京電力の電力不足に向けて削減が要求されるのだろうが,もともと都会はエネルギーの過剰消費地帯である。これを機会に見直しが進み,適正になることを期待したい。

2011年4月1日金曜日

LED電球は本当に省エネか?

省エネのため,白熱電球をLED電球に交換しましょうと宣伝されている。確かに同じ明るさを出すのに消費する電力で比較すると白熱電球とLED電球では断然とした差がある。が,電球型蛍光灯とLED電球を比較するとどうだろうか。実は,電球型蛍光とLED電球では発光効率では,ほとんど差がないのである。製品により結構ばらつきがあり,一概にLED電球が一番省エネになるとは言えない。LED照明が出回り始めた頃メーカーの営業のかたが訪問してきて省エネ性をアピールしたが,その場でパンフレットとそのメーカーのカタログデータを示して蛍光灯より発行効率が悪いことを示して見せると営業の人はぐうの音も出なかったことがあった。それでいて価格は蛍光灯の5~6倍くらいだった。あれから,7,8年経ったろうか。このブログを書くのに再度調べてみたが効率の点ではあまり変わっていない。価格は大分安くなった。寿命がカタログ定格以上なら,トータルコストはLED電球が安くつくだろう。白熱電球をLED電球に交換するのは良いが,蛍光灯をLED照明に変えるのは考えたほうが良い。いまの段階でも天井の蛍光灯が古くなって買い換えるなら前述のように直管20W型のインバーター蛍光灯がベストだ。
すっかり,宣伝でLED照明は省エネというイメージが定着しているが,効率は蛍光灯と変わらないということになると,メリットは長寿命であるこくらいか。カタログデータをみるとLEDは定格寿命40000時間で蛍光管の4~6倍くらい。ランプの交換が困難なところはLEDのほうが良いだろう。あと,LEDは照射方向が絞れるのでスポットライトとして使うには向いている。ショウウィンドゥの照明など,従来白熱のキセノンランプやハロゲンランプで照明していたところなどは蛍光灯よりもLEDのほうが向いている。しかし,演色性がいまいちである。電球色のタイプでも白熱電球に近い色は出せない。これは,蛍光灯も同じだ。欧米人の家庭ではほとんど白熱電球を使うのも,白熱電球の温かみのある赤っぽい色を他の光源で代用できないからだ。薪の燃える火,ろうそく,ランプの延長上にある白熱電球の灯りは人間のDNAに温かみとくつろぎを感じる灯りとして刻み込まれているらしい。それと白人は肌が白いというか静脈が透けて青っぽく見える人さえいる。白い肌には蛍光灯の白い光が当たると生気なく見えて嫌なのだろう。
最近は冬のイルミネーションの光源としてLEDが使われるようになったが,LEDの灯りよりも以前の白熱豆電球のイルミネーションのほうが光に温かみがあり,黄金色に見えて冬の灯りとしては心がなごむ。
メーカーは価格の高いLED電球が売れるほうが儲かるのだろう。LEDの寿命は40000時間と表示されているが,あの小さい半導体素子を高温にして点灯させる仕組みが40000時間持つとは思えないのだが。40000時間というと連続で約4年半である。製品保証が1年しか無いので,2年間使って切れたとき補償はしてくれない。私としては過去の経験上信用できない。半導体の寿命は熱と半比例するものだと思うのだが。果たして今後どうなって行くのか。