2011年7月30日土曜日

日本の中共化

中華人民共和国(以下中共)の高速列車事故を必死になって今後の鉄道事業輸出に影響が出ないよう隠蔽しようとする中共政府のやり方をみて呆れてしまうが,多くの日本人は中共政府より日本政府のほうがまともだと思っているのだろうか?。ヨーロッパや米国からみたら,中共政府の列車事故対応も日本政府の原発事故対応も五十歩百歩ではないかと思う。
被害の拡大を予見し,防止対策を先行させるという点に関して原発事故に対する日本政府・行政は全く出来ておらず,汚染被害が拡大する後から「直ちに影響はない,健康に影響するレベルでは無い」だの,これまでの法律・規則,世界標準を無視した発言を政府・行政・御用学者で声高に唱えているだけである。
政府は,日本ブランドの海外宣伝で,日本は安全で治安の良い国,日本食はヘルシーで美味しい,日本は環境先進国とのイメージをアピールしてきた。しかし,今回の震災,原発事故に対する政府の対応は日本ブランドのイメージを大きく失墜させている。菅直総理の辞書には「客観」という言葉が無いようである。野党時代の国会質問における菅直人と今の菅総理は全く別人格であり,野党時代に行った菅直人の与党政府に対する質疑追求に習えば,菅総理は震災前に辞職していなければならない。
海外から見れば政府の行いとしては,今の中共政府も日本政府も同じようにしか見えないのではないかと思う。むしろ,列車事故の被害者に対し補償金を早急に提示した中共政府のほうが,日本政府より優れているのはと思ってしまう。今の政府は被災者・国民が大人しいのを良い事にあぐらをかいて,口先だけの対応しかしていない。

2011年7月28日木曜日

原発止めるも愚,動かすも愚

どうも原発の今後の稼働については政府内部が分裂し,先行き不透明になってしまった。菅総理の順次原発を停止し,再生可能エネルギーで補うという考えと,社会・経済に大きな影響を与えない範囲で運転を続け,国のエネルギー基本計画は修正し,原発の発電比率を見直すという官僚・経済界の考えに二分されたかと思う。

原発を停止し,再生可能エネルギーを推進すると電気料金は今の二倍くらいになってしまうのではないかと思う。それに,電圧・周波数の不安定を招くことになる。再生可能エネルギーで儲けようとする人たちにとっては,風力・太陽光発設備でまず儲け,電気料金の値上げ対策用省エネ製品で設け,電圧・周波数安定化電源設備で設け,と今後20年くらいのビジネスプランを考えているのである。そのため,今は再生可能エネルギーを導入すれば不安な原発は廃止でき,温暖化も防止できるという夢を唱えているのだ。

一方,原発を維持する人たちは九州電力のやらせメール事件のように,やみくもに反原発の動きを封じ込めようとする。原発停止により損失を受けたくないからであり,現在の原発ビジネスを何とかして維持しようとしている。

私は原発反対論者では無い。しかし,今のままででは危険だと考えている。今回の福島原発事故で不思議なのは,事故検証が進まないことである。普通,航空機事故や鉄道事故などでは,事故対策と同時に原因究明のための検証が進められる。原因特定に至らなくても推測の段階で,運行停止や緊急点検などの対策が講じられる。この基本対策が原発には適用されていない。いや,国や電力会社は対策を講じていると言われるかもしれないが,福島の事故原発は事故の本質を隠していると思われるからだ。東電ては想定外の津波が事故原因としたほうが責任逃れできると考えている。

私の推測では,
●地震で蒸気系統,給水系統の配管が破断した。
●破断した配管より蒸気・水が漏れ,漏電により制御系の電力が供給できなくなった。
●地震と放射線に汚染されていると思われる漏水のため,作業員が避難してしまい,手動での対応が津波が来るまでに出来なくなってしまった。
●補助発電機が津波で破損し,制御室の電源も停止して原子炉の監視できなくなりお手上げ状態になってしまった。
●現場が混乱するなか,政府側の誤った指示により爆発に至った。
ということではないかと思う。最初の配管破断については,過去の東電の損傷隠しが露見した事件の時,原子力保安院となあなあで処理し,損傷隠しの体質が改められるどころか,内部告発を封じ込める方向に向かったのではないかと思うのである。

今,行なうべきことは全国の原発が地震で壊れない,安全停止できる原子炉であるかどうか検証し,不備・不足があれば補強改修方法を検討し,回収方法・費用の点で継続運用可能かどうかの判断をすることである。その際,政治家,官僚,電力会社関係者を介入させてはいけない。

今の日本には,これを行なうための政治判断,人選ができないのである。国民のことより,自己,組織の利益を優先させる人間ばかり権力を持つ立場に居座っているのが今の日本の最大の不幸だと思う。

2011年7月11日月曜日

再生可能エネルギーバブル

独立行政法人 産業技術総合研究所の中西先生が原発,再生可能エネルギーについてブログで書かれていたのでリンク先を紹介する。

http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak551_555.html#zakkan555

中西先生のブログを閲覧するようになってから,もう何年経つだろう,10年以上であるのは間違いないが,年数を経ても学者としての誠実性・中立性は揺るがず立派なかただと思う。本来,学者研究者とはこうあるべきと思うのだが,変節した学者たちがあまりにも幅をきかしているのでテレビばかりを見ていると,「学者なんてロクなやつがいないな」と思ってしまうのである。私は,まともな学者・研究者は結構居ると思っているのだが,政府や大企業,マスコミの反発をくらう真実を発言すると様々な圧力を受けるので口をつぐんでいるのだと考えている。
今は,再生可能エネルギーをもてはやしているのだが,私は太陽光発電や風力発電を再生可能エネルギーと呼ぶこと自体不適切だと思うのだが,国民にはコストゼロで電力を産み出す魔法のエネルギー源のような印象を政府・企業・マスコミで宣伝している。
風力・太陽光にせよかなりトラブルが発生していると思うのだが,そのような事実・統計はほとんど発表されていない。再生可能エネルギーバブルで金儲けすることで手を組んだ政府・企業・マスコミは,不都合な真実を国民に知らせることはしないだろう。

2011年7月8日金曜日

自家用発電設備で脱原発の嘘

いくつかの週刊誌などで「企業の所有している自家用発電設備が原発60基分に相当する」という記事が出ている。
http://nikkan-spa.jp/18472

いま聴いていたラジオでもそのことを話題にしていたが,どうもただ単に数字を積み上げているようで,アホな政治家が利用しそうである。「自家用発電設備を所有している施設は,それを稼動させろ」と命令するのではないかと懸念する。
経産省の持っている届出している自家用発電設備の数字を持ってきたものだと思われるが,主に自家用発電設備を持っている施設は病院・ホテル・大型商業施設などで,自家用発電機の使用目的は,ほとんど非常用である。非常用発電機とは停電になったとき一部の電源を供給するために設置している発電機で,電力会社の電力との併用ができない発電設備である。電力会社の電力と自家用発電機の電力を並行して電力を供給するには系統連系装置が必要で,いま所有している非常用発電機をそのまま系統連系させることは不可能である。一部の大規模工場では熱源との併用で自家用発電設備を持っているが,それは工場の操業に使用する電力を発生させるためで,原発の穴埋めに振り返ることができない。
一時,オンサイト発電が流行り私の務めていたところにも再三売り込みに来たのだが,メリットがないということで断った。近くの商業施設で納入したそうだが二三年もしないうちに石油価格の上昇で止めてしまった。運転音での周辺住民の苦情もあったらしい。休止しているオンサイト発電設備なら動かせるだろうが,石油価格が高い今,企業は負担を受け入れるだろうか?。
週刊誌の記事は絵に「描いた餅・取らぬ狸の皮算用」で,技術的実情を調べない無責任記事である。
今後は自家用発電設備を連携運転できるものを採用する施設が増えてくるかもしれないが,小規模な発電機(1,000KVA以下)では発電コストで電力会社に敵わない。それと都会では排気音で常用運転は無理だろう。

似非専門家-「原発がなくたって大丈夫ですよ。日本には使っていない自家用発電機が原発の発電能力以上にありますから。」

バカ記者-「そうだったんですか。それなら心配ない。直ぐ記事にしましょう。」

アホ政治家-「国内の自家用発電機を運転せよーっ。」

竹槍で米兵に立ち向かえと訓練させた戦争末期に似ていなくもない。

2011年7月7日木曜日

太陽光発電を普及させると太陽光電池の価格が高くなる

菅総理は太陽光電池の発電コストを2020年には1/6に下げるとの目標を示したが,片方で脱原発や環境税・炭素税導入を計画しながら相反することを一緒に行おうとしている。シリコン系太陽光電池のコストに大きな影響を与えるのが電力単価である。シリコン以外の太陽光電池もあるが,発電効率の面で今のところシリコン系にかなわない。シリコン精錬,薄膜蒸着過程で電力を大量に消費する太陽光電池は価格そのものが電力単価に左右される。菅総理の目標を達成するには国内で太陽光電池を製造していては到達できないだろう。安い石炭をガンガン焚いて発電している中共で製造した太陽光電池を輸入するつもりだろうか。
菅総理は東工大の化学を卒業しているそうだが,一連の発言・指示をみていると,とても理系思考と思えない。ろくに講義も受けずに大学から「卒業証書やるからとっとと大学から出ていってくれ」と厄介払いさせられたのでは?と勘ぐってしまう。学生運動をやっている人間には可能な限り大学に在籍し学生組織を牛耳る人間がいるからなぁ。
技術に関する仕事をしていると一番困るのは中途半端に分かったつもりになっている人間が決定権を持つことである。福島原発の初期の対応を見ていて放射線にさらされ無駄なことをさせられている自衛隊,消防,警察の人が気の毒だった。
ヒットラーも民衆の支持を得て選挙で選出され独裁者になり,戦争中は武官の言う事を聞かず,戦闘を支持したのが崩壊を早めたのだが,何か同じじゃないかと思ってしまう。

震度6で東京は住めなくなる

東北地方太平洋沖地震からもうじき4ヶ月になろうとしている。未だに岩手から千葉にかけて小規模な地震が続いている。糸魚川静岡構造線,中央構造線付近で地震が散発しているが大きな地震に結びつかないのだろうか。気象庁の地震データをみていると,未だ地震の続いている東北沖に較べ東海,南海沖が全く静かなのが不気味である。
気象庁資料最近1週間M3以上の地震分布

http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/weekly_map/japan/weekly.shtml

大正関東地震と同じ規模の地震が東京を襲った場合,地震による直接被害の後,住民が暮らすのに一番困るのは電気,ガス,給排水の喪失であり,長期的にはトイレの給排水が生活を困難にする最大の原因になる。神戸の地震のときも排泄物の処理で大分困っていたようであるが,その後実用的な対策が他の都市でも行われたという話はあまり聞かない。災害対策用品の備蓄などは行われているようだが,避難場所となる施設の排泄物処理対策は一体どうなっているのだろう。せめて避難場所や公園などのトイレに合併浄化槽を設置し,給水が途絶えたときは浄化後の排水を組み上げ,排泄物を流す水に再使用するという仕組みを作れないものだろうか。建物は耐震化され地震に耐えても,排泄物が流せないため,住めなくなってしまうと思うのだが。マンションなどに住んでいる人はトイレの水が出なくなったときにどこで排泄するか具体的な対処が出来ているのだろうか。地震対策といえば防災グッズや保存食料を買うことで安心する人がほとんだろうが,あんなもの必要ないと私は思っている。一番必要だなと思うのはカセットコンロ。飲料水・食料は当面家庭にあるものと近所のコンビニ・スーパーのストック品を購入すれば済むだろう。
関東地区でどれだけの人が5階以上の高層住宅に住んでいるか分からないが,電気,水が供給されない高層住宅に住んでいる人たちは,住んでいられなくなり避難民とならざるを得ない。実際,東京や周辺都市ではどのような予測に基づいて対策を講じているのだろうか?
今回の震災の教訓は生かされるのだろうか?。今や話題は原発・電力対策が中心になり,再生利用可能エネルギー対策推進を掲げるなど被災地のことから目が離れていっていると感じる。被災地から学び再度防災体制を見直すことが必要だと思う。日本のどこに行っても震度6の地震が絶対来ないという保証できる場所はない。

2011年7月6日水曜日

なぜ,政府・官僚・学者は平気で嘘をつくようになったのか

第二次大戦中は,戦争遂行のため,政府(大本営)が嘘の戦況報告を行い,異を唱えるものは警察に連呼されたというのは,耳にタコができるほど教育・小説・映画・テレビで吹きこまれたため,我々は「酷い時代だった,民主主義の時代になったのでもう二度とあのようなことは起きないはずだ」と思っていた。しかし,時代は逆戻りしてしまったというかもっと非道い時代になってしまったのかもしれない。報道の自由が保証されているのも関わらず,マスコミは政府・官僚・学者の嘘を流し続けている。
私は,昨年の尖閣諸島漁船衝突事故で,那覇地検が漁船の船長を不起訴としたときに,その判断が適当かどうか法務大臣は担当検事を呼んで国民の前に明らかにすべきで,そうでなければ本来起訴すべきところを政府の指示で釈放したと判断されてもしかたないだろう。そうだとすれば三権分立が成り立っていないと国民は考えるだろうと思ったのだが,その後のビデオ流出で中国船長の違法性が明らかになったにも関わらず,マスコミは中国漁船違法操業・巡視船体当たりよりもビデオ流出のほうが大事件として取り扱い,うやむやにしてしまった。あの時から菅内閣は法律を守るという意識のない組織だと私は思った。加えて法遵守精神のない政府の片棒をマスコミは担いでいる。違法にはならない海上保安庁職員のビデオ流出,京大受験者のカンニングで馬鹿騒ぎをするマスコミをみていると「記者って法律知らないのか?」と思ってしまう。
原発事故による放射線汚染のについては,まず,政府が法律違反を率先して行なったこと(電離放射線障害防止に関する一連の法律・規則違反),政府の「ただちに影響はない」との発表に反論しないで受け流すマスコミの愚劣,ぞろぞろと出てきた放射線は健康に影響ないと言う変な学者たちが被害を広げている。政府は口でいうだけで放射線基準を変える法律改正を行おうとしない。口頭で曖昧にしておけば後で責任逃れが出来るためだと思う。政府が法律・規則を無視して国民を危険にさらしており,言論・報道の自由が保証されながら政府の違法性を糾弾しないマスコミは存在する意味が無い。
私の信条の一つに「自己の利益のために嘘をつかない」ということを持ち続けている。利益というのはお金のことだけではない。子供にも同じ信条を持ってもらいたいが,自己の利益のために嘘を付く人が偉い人(政治家・学者)ほど溢れている時代では,大変やりづらいものだ。反面教師ばかりである。

原発運転の判断は誰がすべきか

政治の世界は,あまりにも酷くて物を言う気にもならない。これは,後世に歴史的事項として残る酷さだろう。戦後の内閣の中で最低と評価されるべき内閣を今見ているのだと思っている。
菅総理が浜岡原発の停止を命令した反面,停止中の原発の再運転について判断が迷走している。今日のニュースではストレステストを行なうという話が上がっているが,また,形だけのパフォーマンスになるだろう。日本の原発政策の問題点は,中立的に安全性の技術的判断ができる機関・技術者がいなかったことである。原子力保安院など本来の役目を果しておらず,福島原発が爆発した点で関係者は辞任し,退職金は返納すべきであろう。武士なら切腹である。何せ,原発事故から組織外の文官官僚が矢面に立ってまるで人事のような口調・表情で淡々と記者発表を行い続けていたことが異常である。国民をナメている。まさか,原発運転再開の判断を原子力保安院にさせるつもりでは?今のところ刑事起訴は,されていないが,原子力保安院と東電は業務上過失致死罪で起訴されるべき立場である。事故発生の責任を問われるべき組織が他の原発運転再開の技術的可否をするのは社会通念上ありえない。
今回の事故で明らかになったのは,政府-行政機関(官僚)-民間業者-マスコミが皆,手を組んで国民を欺いてきことで,マスコミも一枚噛んでいたため,糾弾の声に今一,力がない。同じことを繰り返さないためには,休止中,運転中の原発の使用適否の判断を外国の専門家にしてもらうべきだろう。原発が無くなったら困る自治体の長が判断すべきものではないし,政府・行政機関も国民の信頼は無に等しいのだから。