2011年4月21日木曜日

福島原発事故,政府,官僚,マスコミの正義

youtubeで福島第一原発の画像が公開されている。撮影は4月15日とのこと。

http://www.youtube.com/watch?v=lemHgJLlZ2E&feature=player_embedded
















原子炉格納容器の蓋がむき出しになっていて,しかも締め付けボルトが無くなっている(二本だけ浮いてささっている)。この写真は4号炉とのことだが,4号炉は炉内に燃料が無く,冷却プールに使用済燃料が入っていて,プールの水が無くなり使用済燃料が加熱し水素爆発を起こしたとのことだが,この格納容器の蓋は外して横に置いてあったということだろうか。
GEのBWR Matrk I の透視図と建設中の格納容器の写真。手前にあるヘルメット状のものが上記の黄色い角の容器の蓋。(4号炉は日立製作所の設計とのことだが,GEの炉の図を参照した)




しかし,福島原発事故に関しては,政府発表,原子力保安院,東京電力の発表と現場の状況が整合しないのだろう。それに対してマスコミもろくなツッコミも出来ない。発表されたことを鵜呑みしている。買収されていると言われても否定できない。利益循環の中に組み入れられ腐ってしまったのだろう。しかし,視察に来た菅総理と枝野官房長官の防護服には笑ってしまった。自分たちの発表していることと対照すればジョークにしか思えない。外国のマスコミからも嘲笑されていることだろう。
フリージャーナリストの上杉隆氏が第二次大戦中の大本営と新聞のようだと言っていたが,自己利益のため隠蔽・歪曲している点ではそれ以下だろう。正義というのは自己利益を求めて行動している人間には出来ない行為なのだ。いま,マスコミ,メディア,政治家,官僚には,その意味で正義を行える人間は表に出てこない世界になってしまっている。犠牲になるのはいつの時代も庶民である。 




2011年4月16日土曜日

電力胎児

近隣騒音,排気,花粉,防犯・・・住宅の近代化は周囲環境を嫌い密閉した住宅になってしまった。オール電化住宅で,何だか電気ケーブルのへその緒で生きている胎児のようでもある。当然,へその緒を流れる血液である電気が停電すると死んでしまう。高層マンションなど停電になって一日過ごすとなると公園で野宿したほうがましだろう。億ションに住んでいて停電でエレベーター・水も使えなくなり公園に降りてきてホームレスに場所譲ってもらって野宿するなんて笑えてしまう。私は電気設備の設計・管理をしてきたが,オール電化なんて生命維持装置で生かされているような不安な住宅に住む気はさらさらない。普段は石油ストーブだが,薪ストーブもつけてあり,冬場は厚着をすれば薪ストーブだけでしのげるようにしてある。今回の震災でも電源の必要な石油ファンヒーターは役に立たず,昔ながらのポータブル石油ストーブが重宝されたようだ。我が家も普段は使わないがポータブル石油ストーブは仕舞ってある。長い停電が起きるなど今の人はありえないことのように思っているのだろう。マスコミも広告主の利益に反することは書かない言わないから,高層マンション,電化住宅なんて停電したら棺桶と同じだなんて一言も言わない。東京にテロ攻撃を仕掛けるなら少しの爆薬で山間の送電鉄塔を数カ所破壊すれば鉄塔はドミノ式に倒れ,長時間停電になり,時間と共に人が死んでゆく。本当に危うい状態に浮いているのだ。
現代の都市とそこに住む人々は電力という臍帯で生きている胎児のようなもので,その臍帯は見ず知らずの人が簡単に切ることが可能なのだ....。原発と同じで危うさにに気づいている人は,たくさんいると思うが誰も防止策を施さないままなのである。

2011年4月15日金曜日

情報化社会は大量電力消費社会

東京電力の福島原発事故により今年の夏の電力不足対策をどうするかについて色々言われているが,平成14年の電力危機(前出参照)のことを考えれば,柏崎刈羽原発が稼働出来れば大丈夫だと思うのだが。点検・整備の繰り上げか繰り下げで,夏の稼働炉数を上げれば間に合うと思う。電力ピークを押さえれば良いわけで,冷房を停止すれば中間期の電力使用状況とそう変わらないはずだ。サマータイム導入とか言っている政治家もいるが,サマータイムは電力ピークカットにはあまり効果がない。サマータイム導入の本音は景気対策だろう。明るいうちに仕事を終わらせ,レジャーや飲食をもっとさせるのが目的だろう。そんなふうに時間を使える労働者ってどれだけ居るのだろう?東京当たりでも人口の1割居るだろうか?。
冷房を止めるには,労安法の問題があり,冷房装置を設置している場合,摂氏28度以下にしなければならない。政府は特別措置で「扇風機や送風装置を使用し,就業者の体調管理に配慮すれば摂氏32度まで可とする」とでもすれば,冷房の停止を大分実施できるだろう。30度を超える中,体を動かして仕事をしている人が大勢いるのに,デスクワークの人間が冷房なきゃ仕事ができないのはおかしいだろう。
北海道でも一昔前では冷房は一般的ではなかった。しかし,今ではオフィス,店舗等に冷房を設置するのが一般的になっている。住宅でも建売住宅は最初から冷房(エアコン)がついているのが今では一般的らしい。
工学系大学で勤務していたとき,教員室に冷房をつけたいと言われ,何故という話になり先生は「暑くて部屋に居られない」と言って温度を測ったデータを見せてきた。部屋を見せてもらうと,研究用のサーバー,自分のパソコン,プリンター,コピー機等で埋まっている。昔は工学部の教員室でもOA機器なんて電卓くらいしか置いていなかった。今では教員一人の部屋に合計3kWくらいのOA機器家電製品がある。
OA機器の消費電力は,ほとんど熱となる。昔は夏を扇風機と団扇で凌げたものの,今は常時室内に熱源を置いているのだ。さらに,OA機器はホコリ,湿度を嫌うため,窓を開け放しておけない。部屋を閉め切り,エアコンを使わないと仕事ができないようになってしまった。OA機器の消費電力で発生した熱をさらに電力を使って排出しているのだ。
情報化社会とは,それまで以上に電力を消費しなければ維持できない社会なのだ。家庭においても家電製品の大型化,機種の増加は夏場の冷房が無けれれば部屋に居られない状態を作っている。
かくして,国内の電力消費量は年々増加し,二酸化炭素を出さないクリーンエネルギーということで原発は増え,地震で壊れ,国民の生活,経済を破壊する結果となった。

情報化社会の形成・生活利便の向上→電力の消費増加→温暖化防止のため原子力発電の増設→原発事故による生活・経済の破壊→将来ではなく現在の環境破壊

人間の欲と浅知恵を神様が諌めているような気がする。(神様とは八百万の神のことです)

2011年4月14日木曜日

復興会議開始

きょう,4月14日大震災の復興会議が初会合を開いたそうである。今の政権で効果があげられるか非常に疑問である。原発の被害地域など先行き分からないのにどうするのだろう。原発関連だけ棚上げするのだろうか。松本参与が菅総理が原発被害地域は数年住めないと発言したとして問題になったそうだが,今の状況ではどうみたってその通りだろう。原発からの放射性物質放出を止める目処がつかない状況で,チェルノブイリ周辺の現状を見れば,周辺住民が自宅に住むのは数年無理というところも出てくるだろう。常識だ。昨日の東京電力の清水社長の記者会見でも,はっきり言えば「今のところ全てにお手上げ状態です」ということだろう。否定したけど数年住めなくなるというのは菅総理の口から出た言葉に間違いないだろう。松本健一氏は意図的に漏らしたのでは?「もう菅政権とは付き合ってられない」と思って,辞任する口実にしたのでは?と思う。多分間違いない。松本健一氏は菅政権に相応しくないしなあ。
今回の大震災は災害としては大正の関東大震災に次ぐものだが,被害の大きさから較べると,第二次大戦中の空襲・原爆投下の比ではない。空襲で破壊された日本に終戦後660万人と言われる引揚者が戻ってきたのである。当時の人口の1割近くの数である。日本に戻ったものの家も仕事もない人たちが10人に1人いるという状況だったのだ。私の両親も引揚者である。そんな状況の中からベビーブームが起こり,高度経済成長を成したのだと思うと今の状況を,そう悲観的に考えるほどの事ではないというと不謹慎だろうか。
復興会議に参加している人たちは日本の戦後状況をどれだけ知っているだろうか?適切な行政措置を行えば復興するのにそう時間はかからないだろう。65年前よりは復興に使える物もお金も桁違いに今の日本は持っているのだから。政治行政は変な考えを押し付けず地方行政のサポート役に回ったほうが良いと思うのだが,復興会議が方針・判断の遅延や押付けにならないよう祈るしか無い。

科学技術創造立国日本+経済至上主義NIPPON=日沈みゆく国(4)

社会格差が増大してゆく日本。
私はGHQによる第二次大戦後の日本の体制改革は,革命だったと考えている。
農地解放,皇室を除く貴族制度の廃止,財閥解体,帝国陸海軍の解散,国家神道の解体・政教分離,憲法改定。敗戦からサンフランシスコ条約の発行までに日本国内の体制をひっくり返してしまったのである。こうしないと日本が共産化してしまうという米国の強い意志によるものと思うが思い切ったことをしたものだと思う。当時の占領政策を画策した人たちは自国で実施できない理想社会を形成する実験を行ったのだろうと私は思っている。その結果,昭和30年代から爆発的な経済発展を遂げるのである。
一家の主が馬鹿な事をせず(博打,酒,女)真面目に稼ぎ,浪費をせず家庭を大事にすれば,自宅を持ち,子どもにも高等教育を受けさせることができる。このことを多く国民が享受できる社会こそ社会主義国家だと思うのである。経済体制は何でも良い。ソ連や中共などは失敗共産主義・社会主義国家なのだ。
「真面目に生きれば,安定した人生を送れる。」人生には色んなことが起きるが,真面目に生きるという人生の基本理念は,かつて日本人の常識だった。それを壊してしまったのはバブルである。バブルの破綻と共に元号は昭和から平成に移り,日本人のお金儲けに関する意識が大きき変わったと私は思っている。もちろん,それ以前にも,狡い商売で金儲けを目論む者は居たが,社会全体,特にマスコミが真面目にお金を稼ぐことを否定するような風潮になったのは,バブル以降である。私はバブルが破綻した後,バブル以前の真面目に努力することが尊ばれる社会に戻らないと感じたが,いま,その感を拭えない。確かに,新聞や雑誌の記事では,伝統的な技術やそれを伝えるのに努力していることを伝えるというような記事は載るものの,どう仕様も無い記事やいかがわしい広告が幅を効かせている。昭和の時代に大手全国紙でパチンコ屋の宣伝が全面広告で新聞に載るようなことは考えられなかった。新聞・テレビも記事・番組そのものが宣伝が組み込まれていたり,広告費を稼ぐための銭ゲバマスコミである。今のテレビを見て,新聞を読み育つとパチンコや怪しい健康食品販売は,まっとうな商売だと思って子供たちは育ってしまうだろう。
今年より義務教育に新聞を取り入れる授業を行なうそうだが,今の新聞は子どもの教育素材として相応しいものだとは思わない。新聞の売り上げが年々減少しているため新聞業界が政治家を動かして行わせたのだろう。
科学技術創造立国を創ることはそれに相応しい人を創ることだが,お題目を唱えるだけで,政治,社会,教育は全体的にそれに向かって効果的に機能しているとは思えないのである。

2011年4月12日火曜日

科学技術創造立国日本+経済至上主義NIPPON=日沈みゆく国(3)

科学技術創造立国日本の復興が困難な理由としてもう一つ上げたい。国民総生産の一次+二次産業比率は25.2%(2009年)に対し就業者数は47%(2010年)である。この数字の捉え方として
●一時二次産業は生産効率が悪い。
と捉えるか,
●一次二次産業は外国との価格競争で生産金額が抑えられ従業者も低賃金を強いられている。
と捉えるか。
当然,後者であろう。これには,中華人民共和国など新興国の安い製品・農産物との競争を強いられてることもあるが,私としてはもう一つ別の見方を上げたい。
昭和30年代から,技術者を教育・育成することは国策として全国に工学系大学・学部の拡充・創設及び工業高等専門学校の設置を行った。ちょうど団塊の世代が進学する時期である。この政策は功を奏し,昭和40年代,50年代のGDP二桁成長に大きく寄与したと言って間違いないだろう。また,工業高校においても優秀な生徒が集まり,北海道でも工業高校の入試成績が全道の高校入試平均点のトップクラスだったこともあった。と言っても今では信じられないだろう。しかし,時代は変わり,工学部,工業系学校は一部の学科を除き人気が低下し,学科を選ばなければ特に国立大学では入りやすい学部になっている。
現在国公立私立大学学部の学科別定員を見ると理学部,工学部,農学部を合わせた比率は22.6%である(平成20年度文科省資料)医療系が10%程で,高等教育を受けた人間の7割近くが三次産業部門向けなのである。
日本の輸出品の大部分は工業製品であり,ゲームやアニメなどのコンテンツ産業やサービスの輸出金額は,まだ大きくないであろう。日本の家計を黒字にするには,工業製品に頼らなければならないのである。
話が回りくどくなって申し訳ないが,どんどん増えていく高給取り三次産業従事者を養うため,一次二次産業従事者が骨身を追って苦労しているのが今の日本の実情である。「辛い仕事はいやだ。うまいもの食べたい。遊びたい。」と言っている三次産業道楽息子4人を一次産業の父母が汗水流して息子の稼ぎ以上の生活を与えている状態だと私は思うのである。
ほとんどの若い人は,この不公平を認識しているのだろう。「一時二次産業に入るより三次産業分野でうまく高収入を得たい。」というのが多くの若い人の本音だろう。今の政策・施策では若い人の職業に対する意識を変えることは困難だろう。でも科学技術創造立国の根本は,若い人のこの意識を変えることがまず一歩だと思うのだが。

2011年4月11日月曜日

科学技術創造立国日本+経済至上主義NIPPON=日沈みゆく国(2)

私の持論として,子どもたちの理系離れの原因のひとつに教師の問題があると思う。私の年代では中学,高校で理数系が得意な人は教育大学に進む人はほとんどいなかったと思う。理数がよく出来る人は医学系や理工系に進んでいた。理数がそれほど得意でなかった人が小中学で子どもに理科算数を教えているのである(例外はあると思うが)。教師になってから自己研鑽に励み素晴らしい先生になっているかたもいると思うが,大学受験制度の改革は,より理数系の不得手な教師を生み出す要因になったと思う。
私の歳が旧国立大学受験制度最後の歳だった。翌年からは共通一次試験になった。旧国立大学受験制度とは,国立一期校(旧7帝大)と二期校(旧7帝大以外)に受験日が分かれ,国立大学を希望する学生は,通常,受験する一期校と二期校を選び,二期校を滑り止めとしていた。試験問題は各大学で作成し,大学により難易度に差があった。試験科目は基本的に学部学科に関わらず5科目で科目別の傾斜配分は行わず,5科目合計点で判断されていた。難関校に入るには不得手科目があったらアウトだったので,文系学科を受験する学生でも,理数科目も必死になて勉強したのである。あれから三十数年経ち,昨年は娘が大学受験で私も今の大学受験の仕組みを調べてみたが,国公立系でも理数が出来ない文系希望学生を排除できる仕組みにはなっていなかった。高校ではセンター試験で受験しない科目の授業は放置状態で試験も一夜漬けで合格できるレベルの優しい問題で行っている。高校どころか中学生レベルの算数や理科が分からない生徒を大学に送り出しているのである。
また,工学部の低ランク大学の入試偏差値,センター得点平均値を見ると,このレベルの学生が大学課程の理工教育を履修できるのか?という懸念を抱いた。一部の大学では入学してから高校課程の再履修を行っているそうで,工学部に入学した学生なのに高校数学を再履修させている大学もある。
バブル期の理工系離れとゆとり教育,それに少子化による大学入試競争の緩和は長期的な日本人全体の学力低下を招いている。困ったことには,これからゆとり教育世代が親となり,社会の中心を担うのである。
政府が科学技術創造立国の旗を掲げ予算を撒いて一時的な効果を出しても,世代循環の鎖を断ち切ることは容易ではない。私は子どもの学力低下が言われだしたとき,それは子どもの側に問題があるのではなく大人側に原因があると考えてきた。子どもを変えるには大人が変わらなければならないのである。